カテゴリ:ピンとくる人 の記事一覧

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師匠。

もめです。

週末、新庄村へ行ってきました。3回目のムラゼミです。
このことは、後日まとめるとして、別の視点から。

私には、今、師匠と思っている人が二人います。
弟子と認められているわけじゃないけど、精神的支柱として。

一人は、今回ムラゼミの講師に来てくださった畑祥雄先生
2009年から通っているIMIグローバル映像大学の代表で、
たくさんプロフェッショナルの先生がいるこの学校の中で、
私が最も影響を受けている先生です。
今年からは先生のゼミで、先生がプロデュースするプロジェクトを通じ、
勉強させてもらっています。
周りを巻き込み、社会の仕組みをついて、つなぎ合わせて、ものすごいスピードで実現していく。
「そんなの無理やろー」と思っていた事が、つい数ヶ月後に実現してた、というのを
目の当たりにして、パワーに驚いた事があります。
映像の勉強をしにきたつもりでしたが、いつの間にかソーシャルビジネスの動きを
リアルタイムで勉強させてもらえていて、面白いゼミです。

写真家であり、アートが専門領域(他のこともむちゃくちゃ詳しいけど)ということもあり、
言葉がどれもこれもメモしたくなるようなものばかりです。
私はこれらの言葉を精神的な支柱にしているので、師匠、と思っています。

たとえば・・・(多少編集してますが)
●something new に先行事例はない
→今の学生は勉強しすぎる。過去の事例を調べるところで、進めない。
 ムラゼミに関して言えば、
 「今まではどこにでもあることをやってきた。ここからは先行事例のないことをやる。
  自分の頭で考えろ。」

●コロンブスの卵のアイデア
→誰もができそうで、どっかでやってそうで、
 でも気づいていなかったアイデアを見つけ出せ。

●想像から創造へ
→「肉眼でみたことないからわからない」じゃなくて、イメージしろ。
  想像がsomething newなんや。

●知る事より、なにより、ギフトを。
→地域に入る時、地域の人を「知る事」が大切だとよくいう。
 そのために話を聞かせてください、というが、
 それよりもなによりも、地域の人が喜ぶ「ギフト」を実行せよ。
 何もしないうちに求めるな。


●二者択一するな。
→たとえば「個人のつながり」が大切か、「仕組み」が大切かという議論がある。
 そうじゃなくて、そのシーンによって組み合わせなければいけない。
 2種類のレゴをどう組み合わせるか。



まだまだ、あるのですが、こんな感じです。

今回のムラゼミでは、地域づくりの現場において、「定説」とされてきて
私たちも信じていた視点が覆されたというか、
同じようでいて「コロンブスの卵」的に、
おでこあたりに第3の目をつけられたようなそんな感じです。

ムラゼミメンバーも「定説」とされてきている
地域づくりのパターンを勉強している子が多いから、
いい意味でものすごく戸惑ったと思います。


ちなみに、こちらはムラゼミの講義の一部です。
このことは耕平のブログにも書いてます。


そして、もうひとりの師匠は、美作の地域おこし協力隊のかっちです。
畑先生に「第3の目」をつけられた直後に
本日かっちの口から話された言葉は、まさにおんなじことでした。実にタイムリー。

かっちが隊長として動いている上山には、
どんどん新しい変わり者が入り始めています。
その勢いは、今後どんどん増すはずです。
かっちがもたらすここのオープンな雰囲気に、たくさんの人が魅力を感じ
ここでなんかやってみたい!と思いはじめています。


ただ、最初から自分のやりたいことをやりたいと言って、誰が応援するんや?
まず、基本を学ばんかい!と。
チェンソーで木切って、草刈って、
学んだ基礎体力で、集落のために働く。
そしたらやっと、受け入れてもらえて、やりたいことあるんやったら応援するで、って空気になる。
これは畑先生が言っていた「村に何をギフトできるかをまず考えろ」と言っていた事と全く同じ。
ムラゼミの場合は、ムラゼミ生の「カフェ・店オープン」応援の為に、
村の人にその想いを共有しようとしていたのですが、
その前にまず、村への「ギフト」やろ!となり、これから中長期的に動き始めることになりました。

上山の場合は、ここ1年の地域おこし協力隊もいるし、
大阪の英田上山棚田団はさらに、ここが荒廃している時からずっと、
村の人でいえば70年やら80年やら、この集落を守ってきた。
そこに敬意を払わないで、ヨソモノがなにかやろうなんてのはお門違い。


私は、その前日に畑先生に「第3の目」をつけられたばっかりで、
その目は見開いているつもりだったけど、
かっちの迫力ある言葉に、ああ、半分目閉じとったなあ、と気づいて、目ェ覚めました。


「まあ、でもいろいろやってみてください。やったらわかることあるから。」という
相対するような言葉あったけど、「そうや、二者択一したあかんねや」と思い出して聞き入れました。


実はIMIの畑ゼミで動いているプロジェクトで、
田舎の農村とつないでくれという役割を与えられていたので、
私は、上山を紹介しました。
一度学校で会う段取りをしていたのですが、すれ違いで会えないことがあって、
ムラゼミの帰りに、やっとこさ、畑先生とかっちが対面できました。
師匠と思っている両氏を出会わせたい、と思っていたので、嬉しかったです。

121019ueyama.jpg

そもそも私はIMIで、映像を学んでいます。
畑先生の厳しい指導のもと、3作つくって、
やっと自分の映像とのつき合い方の方針がわかってきました。
対象と向き合いながら、自分と向き合い、迷っている事の答えを導きだす。
なかなか苦しい作業ですが、メディアを通して人と自分のカウンセリングをするようなもんです。
最近全然、作品としては取り組んでいなくて、次はかっちを撮ろうと思っていました。
なかなかカメラをまわせなかったのですが、この対面の後、
畑先生の励ましもあって、取り組んでみる事にしました。どんな答えがでるやろうか。





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TOKYO出張。

もめです。

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急遽、東京に行ってきました。
新庄村役場の板野さんと、漂流岡山の阿部さんと、もめの3人。
新庄村のプロジェクトの関係で、阿部さんのご紹介で
東京でいろんなプロジェクトを仕掛けている人たちに会いにいきました。
出張、と言っても、私は自腹出張だけど。笑


場所は六本木。


結果から言うと、この出会いをすぐに今回のプロジェクトで活かせるわけではないけれど、
いつどうなるかわからないので、いい出会いのひとつだったと思います。
勉強になることもいろいろ。



ここで感じたのは、東京ってフィールドというより、メディアだなあ、という感じ。
なにかをする場所というよりは、なにかを発信する媒体のような存在。


と、思ったその晩は、フィールドとしての東京にも出会うのでした。
泊まらせてもらったのは、ゴロゥさんち。
ゴロゥさん、と言っても、女の人。本当に可愛い、好みでした。はは。
ホテルに泊まるのはお金もかかるし、面白くないし、と思ったら、
みやけくんがつないでくれました。ありがとう。
つまり、初対面です。


六本木とは違って、商店の並ぶ、いい町のアパート。
これから、一軒家に移って、自宅をいろんな人が泊まれる場所にしようとしています。
menpei荘のような感じ。
やる人が違うから、基本フォーマットは一緒でも、少しずつ状況や意味が違ってくる、のが
場づくりのおもしろいところだなあと思う。
ちょうどその前の会合で触れていたのが、
「仕組み」とか「体制」とか行政単位の視点だったり、
大きな経済システムの中での視点だったりでした。
それはそれで、それはそれ、なんですが、
そういう「壁」をスルリと交わしてしまう身軽さを持った人たちが
全国のあらゆるところに面白い場所をつくり、そこには自然と人が集まっている。


場所は、そこがどこの地域か、というのは実は大きな要素ではなく、
その「場所」が、たまたまその地域に存在しているという。
その偶然は大切にしていくんだけど。
menpei荘も、たまたま、この地域にあって。
menpei荘の冊子に寄せてくれたみやけくんの言葉を引用させていただくと
「僕たちは、生きていく上で、勝手にあらゆる状況が与えられる。
 その勝手に与えられた偶然な生活、社会、または環境を
 時に疑いながら、あるいは時にうまく取り入れながら生活をしている」のかなと思う。
今後、どこへ行くのかな、根ざしたり、たゆたったり…。

偶然の数多くの出会いが楽しい。
出会いが多ければ多い程、すべてを丁寧に受け止めきれず、苦しいときもある。
ヒトに限らず、コトだったりも。
やっぱり、ひとつひとつの出会いによって、感情も行動も変わってくるし、
自分の出会ったものは、誰かにも出会ってほしい、し、つなぐ。


何かで自分の身動きを取りづらくしている状況もあって。
でも、それを身軽にスルリと交わして、いい方向にクリエイティビティを導きたい。



ゴロゥさんと握手で別れ、またも六本木へ向かう。



ヒッチハイクで来mして、3泊を一緒に過ごして、家族?イトコみたいな感覚になった
よこしまを呼び出したら、来てくれたので、一緒に21_21DESIGN SIGHTへ向かう。
一人ではちょっと楽しさの減る体験型だったので、お調子者の彼が居て良かった。


そして、夜は新宿でよっちゃんとも合流する。
世界一担々麺が美味しいという中華に連れて行ってもらう。
私は新宿21:20発の夜行バスで帰る予定だったけど、
連絡をしていた大学時代ゼミが一緒だったとーまも仕事終わりにギリギリセーフできてくれる。
私以外は全員が初対面の状況。
menpei荘でそういう状況がよく生まれるから、今回もごく自然というか、
そんな繋がりの場をつくるのが好きでそうなってしまう。


とーまは大学のゼミで鳥取の村の地域活性のプロジェクトに参加していた。
私は当時特に興味関心がなく、頑張る大学生はまぶしすぎて遠い存在。
特に仲が良いわけでもなく。
最近、まったく別のルートで、鳥取のプロジェクトに関わっていたNPOの方と繋がって、
このタイミングでとーまとの再会。
わずか30分ほどで、ダイジェスト版で近況を伝える。
現在大手企業でサラリーマンをしているとーまは、
私の近頃の動きを見て、うずうずしはじめていた、とのこと。
彼がうずうずが爆発するように、私は引き続き動きまくろう。

そして、よこしまはというと、よっちゃんが所長をつとめる
谷根千おしょくじの営業をはじめるって。
もともとはみやけくんがつくった仕組みで・・・。
いろんな風に、いろんなところで出会いと出会いが連なって、
なんだか楽しいことが起こります。
それでいいよね、それがいいよね。


よっちゃん、とーま、よこしまと握手をして、また今度。

北海道と青森で再会。

もめです。

7月末に北海道と青森に行っていました。
美作の地域おこし協力隊のかっち&びびさんが
北海道にいくというので便乗していってきた形です。

それはそれはいろいろ回ってきたのですが、
印象深かったのは、再会したい人に会えたことです。

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まずはついて早々、余市のえりちゃん。
去年四月のチェンマイへの新婚旅行の際、バーンロムサイという施設で出会いました。
といっても、ほんの一瞬挨拶を交わした程度。
別の方から、もうすぐ北海道に帰って農業をするんだよ、と聞いていたので、
今回北海道にいくなら絶対に会いに行きたいと思って連絡を取りました。
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えりちゃんの言葉を借りると、「一瞬が一生に」変わって、
会いに行って、受け入れてもらえて、本当によかったなと思いました。


美男美女新婚夫婦は、北海道の軽やかな空気に見事なまで馴染んでいました。


---


北海道最後の日、美作組とも別れ、ニセコに行くことにしました。
コーヘイは大学、大学院時代と合計7年北海道にいましたが、
北海道を選んだ目的がスキーとサーフィン。
冬のシーズン、2年間居候をしていたのがニセコのコテージ「赤啄木鳥(アカゲラ)」でした。
ここに友達らと遊びに来ていた時、赤啄木鳥のお父さんが「誰か働かない?」ときいて
みんな本気にしてなかったけど、コーヘイは次の日すぐに「働きます」と伝えたそう。
ここでの居候生活が、今のコーヘイの原点であり、
ここのお父さんお母さんは、本当にお父さんお母さんのようだ、とよく聞いていました。



突然の連絡ののち、再会、はじめましてができました。
とても居心地がよくて、いろんな話をして
最後はお父さん手作りのイカの塩辛、
お母さん手作りのおにぎり、味噌、漬け物などを
たくさん持たせてくれました。

100805akagera.jpg

かわいい犬のいちご&ミルク親子。
ミルクは豆太郎によく似ている。こんな風に育つかな?
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青森は短い滞在でしたが、青森県立美術館、十和田市現代美術館、太宰の生家など
いきたいところもいろいろあったので、絶対いきたいと言って行きました。


そしてかじこで会ったtecoLLCの三上くんにいろいろ案内をしてもらいました。
青森県民にしかできないような超ディープな移動でした。



夜の津軽の味もたまらなかった。
ぶりこという珍味は忘れられない。
津軽弁の女の子はむちゃくちゃかわいい。
場を作る時のフラットさの追求について共感し合う。

100805mikami.jpg


そしてtecoの現在の拠点となっているカレイザワの廃校にて
卓球ではしゃぎました。
北海道の黒松内でアブだかブヨだかにさされてふくれあがっていた足が
卓球のあと、なぜか元に戻ってました。
100805takkyu.jpg





京都にて。

もめです。

学生時代を京都で過ごすも、真面目なだけで遊びに欠けていた私は、
神戸からの通学に必死なだけでありました。
そんなことを悔やませる、思い出の混じった京の町並み。



今通う学校で椿先生が薦めてた展示を観る為に予定をあけており、
ずっと観たかった映画が京都でちょうど今日からあったので、
呼ばれてる気がしてそちらも行くことに。


映画は「或る音楽」という映像作家・音楽家の高木正勝さんが出演するドキュメンタリー。
監督は別の人。
舞台挨拶もあり、美術家のヤノベケンジさんと共に30分ほどトークが聴けました。
映像を勉強中なので、ドキュメンタリーの撮り方自体、勉強になりました。

高木正勝さんとの出会いは、学生時代に一人の友達が一度にたくさんくれた音源の中にありました。
音楽に疎い私は、人に頂いたものをiPodに詰めて、延々と聴くタイプですが、
高木さんについてはそれ以降も好んで自ら購入したりしながら聴いています。



今日改めて、この方が好きだなあ、と感じました。
同時に私が尊敬できる人の共通点に気づきました。


それは、物事の本質と向き合っているところ。
それは、自分の色を持っていないところ。


これはコーヘイの師匠である高野先生との間に見つけた共通項です。


高木さんの音楽や映像(とくに今回の)が、身体の芯の方に痺れるように伝わってくるのは、人間の本質的な部分との共鳴を表現しているからだろうと思います。

飾りの部分(方法論だったり技術だったり)を語る人よりも
そちらに共鳴します。


自分の色を持っていないというのは、「自分らしく生きよう」といった言葉が溢れる今の世の中では、悪口のようにとられる方もあるかもしれませんが、そうじゃありません。


高野先生の言葉を拝借するならば、水(人々、世の中)の中に水彩絵の具(自分)をポタッと落として、それがスーッとなじんで溶けていくような感じ。


25歳。
10代の頃から、「自分の色」を出すことに腐心してきた私から変化することを望み始めました。
元来我の強い私ですから、一朝一夕では変化できませんが。
色を持たない自分を育てていきたい。

一滴の水彩絵の具のような人の表現に、時折身をおいてこの気持ちを思い出したいです。


見つめるひとつの節目は30歳。
その頃コーヘイは39歳。どんなmenpeiになっているでしょうか。
50代くらいは相当面白そうですが、30代も楽しみです。

ざらざらと。

吉永で暮らしはじめて感じたのは、
自分自身がモノ・コトを生み出す主体にならなくては
生きていけないということ。
それは単純に野菜をつくるとかそういうことだけではなくて。
サービスに身をよせていれば済んでいた都会とは違って、田舎では自分の力が必要。
そしてネットワーク。つまり人のつながり。
(極端な言い方だけど)雇用がない、デパートがない、本屋もない。なにもない。
その田舎に、実際に移住してみて感じたのはそういうこと。


コーヘイは備前グリーンエネルギーというビジネスの部分、
名大でのアカデミックな部分で「クリエイト」しています。
それを「表現」して発信するのが、わたくし、もめ。
それぞれがかけ合わさっていることがmenpeiの存在意義であり強みだと考えます。
だとすると、私の表現力はあまりに乏し過ぎる。
それを痛感して、7月から土日は関西まで学校に通い始めました。
またもサービスのお世話になることになるのだけれど。


この学校は映像の学校だけれども、単純に技術を学ぶわけではなく、
アート、デザイン、音楽などの理論も技術も多面的に学びます。
講師陣も様々で、おなじジャンルの話でも、講師によって
主張が異なったりするので、自分の中で組み立てながら聴いていってます。


私がこの学校を選んだのは上記の部分に加え、
現代アーティストの椿昇さんが講師のひとりだったからです。
椿先生は、私の父の元同僚でもあり、つまり私の通っていた中学の先生でもあり、
世界的に活躍しているその人の考え方が気になっていました。
今日、その授業が初めてあったのですが、
今までで一番脳内が刺激されて興奮しました。


講義の詳細は省略しますが、先生の考えが
menpeiとして考えていることと、根本は同じだと知り、
それに感動とエネルギーをいただいたのです。


ムリだなあ、と尻込みしそうなことを
できるかも!とエンジンがかかってきます。エネルギッシュな人に触れると。
そういう人に時折接触するのは重要だなあ、と改めて思います。


ところで、学校に行って自分のことを話す機会が増えたせいか
menpeiの考え方について「おしゃべり」することが多いのですが、
その都度、「あれ?私たちってこんなに薄いものでしたっけ」とがっかりします。
私は、口で話すのが非常に苦手で、
頭と心に広がって今にも言葉が踊りでてしまいそうな時も、
一言口をひらくと、その頭と心の中の無限のイメージがこじんまりとします。
最近、頭の中のイメージを、口頭でたどたどしくアウトプットしている姿を
「一生懸命話しているなあと思って」とだけ言われた時は
鋭い氷で胸を突きさされたような気持ちになりました。


何がいいたいかというと、やっぱり、
menpeiの存在意義に厚みをもたせるのは、
コーヘイの言葉による説明なんだということです。
私はそれが苦手なら別の手段で表現するのか、
別の切り口で出ていく特訓をしなくてはと思います。

ということで、3月末まで学校での勉強を引き続き頑張ります。
とはいえ、先日の越後妻有で、人生、ずっと勉強だ、ということも
学んでおります。

とにかく考え続ける、そして動く、の繰り返しを
これからもしていきます。




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